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官能文学辞典

テーマ小説「境界にあるバーにて」 ー第十三夜ー 【執事-6】

 

 地下へと続く長い階段を捜査員たちは一列になって進まなければならなかった。内偵したがそのバーに出入りするためのドアは地上から地下へと続く長い階段ひとつだけだったのだ。階段は地下三階あたりまで降りているものと思われた。
  私は捜査令状を持って先頭に立って階段を降りた。これがやりたくて私は刑事になったのだ。ここが私の晴れの舞台だった。本当ならマスコミや後輩の警察官の見守る中での上演になるのだが、この日ばかりは仕方なかった。何しろバーの前のドアのところまで降りて、ようやく大人が三人並んで立てる程度のスペースしかないのだ。
  ドアには施錠がなかった。私は勢いよくドアを開け、捜査の旨を伝えた。客席の椅子は背もたれが異常に高くそのためにお客が何人そこにいるのかは分からなかった。ただ、左右に長い一列のカウンターの中に初老の男と若い女がいることは分かった。初老の男が経営者であることはすでに調査済みであったから、私は彼に向かって捜査の理由を告げた。捜査理由は覚醒剤取締法違反であった。狭い階段、左右に長いだけのカウンター、そして、その左右にあるトイレ、全てが怪しかった。
「全員、そのまま動かないで」
  私のその声で後続の捜査員たちが店になだれ込んだ。あまりに狭いので、何人かがドアの内側にある小さな池に落ちて靴を濡らした。しかし、全員が緊張しているから、そんなことを気にするような者はいなかった。
「何を調べるというのですか、こんな狭い店で、何も隠しようはないと思いますがね」
  初老の男が私を見て不適な笑みを浮かべた。善人が悪人にその表情を変えるときのお決まりのパターンである。
「ネタは上がっているんだ」
「ほほう。何のネタかね。こんな地下深い店で、しかも、カウンターしかないような店で、どうして営業ができるのか、そもそも、こんな場所でどうして営業する必要があるのか、そんな先入観じゃないのかね」
「タレコミがあったのだよ。まあいい、詳しいことは署で聞こうじゃないか」
「先入観とは面白いものだ。振り向いてごらん。誰が私を署とやらに連れて行くのかね」
  振り向くと私は一人だった。捜査令状だと思っていたものはただのハンカチに変わっていた。
「何が起こったんだ」
「先入観でこの店のことを想像した、それだけのこと。地下のうたた寝よ」
  初老の男の顔がいつもの善人にもどった。私の前で溶けた氷がコロンと音をたてた。
  私はこんなことを空想しながら、このバーにいるのが好きなのだ。次はスパイにでもなろうか。

 

出典『境界にあるバーにて』サロンアンソロジー 鹿鳴館出版局

 


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