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官能文学辞典

「都会の底で」 —木馬の客— 【蒼井】

 


ある朝いつもの道を歩いていると、大きな門構えの由緒正しそうな家からじいさんが錆びた枝切り鋏を持って怒鳴り散らしながら追いかけて来た。
道には僕の他に人っ子一人通っていないのだからきっと僕が追いかけられているんだろう。
追いかけられるものだからついつい全速力で逃げ出すと、いつのまにかじいさんが
僕の前を走っていた。じいさんは走っているうちに怒っている事を忘れたようだ。
それでも僕たちは走るのをやめなかった。前方を走るじいさんは転んだ。
だから、走るのをやめ何事もなかったように転んで踞ってるじいさんの横を通り抜けた。
僕の周りでは日常的に理不尽なことが起こっている。
こんな日はペットショップに行ってから出勤すればいい。
会社の経営が傾き前の会社をクビになった。
独り身だし、営業成績はそんなに良くなかったし、上司の覚えも良くなかった。
みんな会社にしがみつく事に必死だったようだけど、それほど仕事に愛着が持てなかった僕はあっさりと受け入れた。
最後の出社の日、同僚達と終電近くまで飲んでいた。
みんなは会社の話が尽きないようだったので「先に帰る」と隣の席の奴に告げて店を後にした。
それでも何となく帰る気になれず、賑やかそうなペットショップに入る事にした。
清潔とは言えない匂いが店内に漂っていた。売れ残りの犬、生後四ヶ月になるのに体だけは小さな猫。
流行の犬。仕事上がりの風俗穣や水商売っぽい女の子達が「可愛い」と言いながら子犬や子猫を眺めていたり
抱きかかえていた。彼女達は流行遅れになった犬をその後も可愛がってくれるのだろうか。
「捨ててしまえば良い」そんな雰囲気を漂わせているように感じた。暫く狭くて清潔に保たれていないゲージの
中で、じっと動かず、うつろな目をした犬や猫を眺めて店を後にした。楽しい気分になるはずだったのに
悲しい気分になってしまい、歩きながら涙があふれてとまらなかった。
家には帰りたくなかった。入った事のない飲み屋に入り、べろべろに酔っぱらったが、ペットショップの悲しさを
忘れる事はできなかった。僕は人恋しくなり生まれて初めての風俗に行く事を決意した。
風俗サイトで検索し「チャイルドパーク」というお店に行く事にして電話をした。
道順を説明されてようやく古びたビルに辿り着いた。
あのペットショップで味わった得体の知れない寂しさを忘れさせてくれる様な気がした。
ホテルに入って待っていると、酔いが醒めてきたので、ビールを飲んだ。
チャイムが鳴って扉を開けると思っていたよりも綺麗な子がやってきた。
女性経験のない僕は緊張して無言になった。彼女は挨拶をして業務的に全ての事を終えて帰って行った。
癒されるはずだった。僕は射精をする事ができなかった。いや、勃起すらできなかった。
彼女のがあのうつろな目をした動物達とだぶってしまった。癒されるどころか、ますます得体の知れない
悲しさが膨らんで、僕はもう彼女の事をまともに見る事が出来なくなってしまったのだ。
泊まるはずだったホテルを出て、繁華街を抜けて家まで歩いた。
ペットショップを出た時のように涙が止まらなかった。
世の中は理不尽で、僕はもう誰とも深く関われないだろう。

 

出典『都会の底で』サロンアンソロジー 鹿鳴館出版局

 


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