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官能文学辞典

そこにある窓の違い

 窓をエロティックなものだと考えるのは何も男ばかりではない。そのことを知ったのは私が大学一年の夏だった。私は二年上の女性と二人、大学の校舎の八階フロアーに閉じ込められていた。
  どうして私たちがそんなところに閉じ込められたのか、そんな事情は説明する必要がない。二人で学校に泥棒に入り外からカギがかけられたでも、愛を語り合っていたらうっかり閉じ込められたでも、誰かに追われて隠れていたでも、鬼ごっこに真剣になり過ぎたでも、どうとでも考えてもらいたい。
  私は教室の一つの窓から外を眺めていた。向かいのビルは近かった。そこに人の姿も見えた。しかし、助けを求めるにはあまりに情けなかった。
「あそこは男子トイレみたいね」
  ぼんやりとした私の後ろから女性が声をかけてきた。
「そうみたいですね。窓が小さいし、ときどき男の人の顔が見えるようですから。オフィスビルのようですから残業している人が多くいるんですかね」
「私ね。窓を眺めているのって嫌いじゃないの」
  フロアーの階段の扉が閉ざされ、エレベータが止まったとはいえ、閉じ込められたのは一つの教室ではなく八階フロアーにであるからのんびりとしたものだった。水道もあればトイレもあったからだ。あわてずに朝を待てばいいだけのことだった。幸い凍え死ぬほどの季節でもなかった。
「子供の頃ね。近所に高窓しかない変な家があったの。もしかしたら普通の窓なのかもしれないけど、子供の私にはとても高いところにある窓に思えたのかもしれない。ちょうど、あのビルのトイレの窓のように高いところにあったの。大きさもあんな感じだったなあ。その窓の下にいるとね、変な声が聞こえてくるの」
  彼女は突然、そんな話をはじめた。朝までの暇つぶしのつもりだったのかもしれない。
「人を叩くような湿り気のあるピシピシという音に合わせて、アァ、とか、ウゥとかって女の人の声が聞こえてくるの。大人の女の人の声だってすぐに分かった。それでね、私は、ああ、大人になっても叱られてお尻を打たれるんだって思ったの」
「セックスなんて思わない頃だったんですね」
「そうね。五歳とか六歳、小学校に行く前だったから、セックスのことなんか知らなかったと思う。でも、おかしいの。叱れてお尻を叩かれるなんてことも知らないはずなの。両親は優しい人たちだったから、まず、そうした叱り方はしなかったし、そもそも、叱られたということも記憶にないぐらいなの。それなのに、それは大人の女の人がお尻を打たれているんだって確かに私はそう思っていたの」
「テレビとか映画とか、何かそうしたもので観たり聞いたりしていたんじゃないですか。そうしたことってよくあることですよ」
「そうね。自分の身長の二倍ぐらいの高さにある窓が少し開いていて、私はなんとかそこから中を見たいって思うんだけど、見る方法なんてないの。音は鈍い音になったり乾いた音になったりした。その度に、私は手で叩かれてる、定規を使われた、もっと細い棒だ、と、そんな妄想をしていたの。まさか男女が下半身をぶつけ合っている音だなんて思わないから」
「そりゃそうですよね。その上、女性の声は苦痛と快楽の区別がつかないものですからね」
「ええ、とっても痛がっている、そう思った」
  校舎から見える無数の窓の灯りは少し少し減って行く。電気をつけるというわけにもいかないので教室の中もどんどん暗くなって行った。
「トイレに行きますけど、どうします。先輩も一緒に行きますか」
「いい、ここで待ってる。もしかして、あなた……」
「えっ」
「なんでもない」
「もしかして、何ですか、気になるじゃないですか」
「もしかして、一人で脱出したりしないでしょうね、って」
「まさか、こうなったら朝まで大人しくしていたほうが利口ってものですよ」
  私は一人、暗い廊下を歩いてフロアーの中央にあるトイレに向かった。向かいながら、私は二つのことを思った。一つは、彼女が聞いたのはセックスの音ではなくSMの音だったのではないかということ。もう一つは、彼女は「もしかして、あなたオナニーしに行くつもり」と、私に尋ねようとして止めたのではないかということだった。どちらも彼女に確かめることはしなかった。
  それを確かめたりすれば、せっかくの彼女の窓が彼女の背の届くところまで降りて来てしまうような、そんな気がしたからだ。

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