「都会の底で」 —シーソー— 【mimi。】
梨が届いた。小さな箱に、大玉が6つ。大好きな千葉のおばあちゃんからだ。
おばあちゃんが暮らす特別養護老人ホームは山間の新興住宅地にあった。東京からそう離れていないのに、バスを2回乗り継いでやっとたどり着けるような場所だから、会いに来る家族は少なかった。
おばあちゃんはかなりぼけていた。私を見つめて「どちらさんですか?」なんて言う。
ホームの裏手に、喫煙所があり、私はそこで、健二と初めて会った。数少ないホームで働く男性の介護士だったから、顔は知っていた。会うたびに黙って煙草を吸い、煙草を消して会釈をした。4回目くらいに、初めて言葉を交わした。私が読んでいた本の作者を、健二も好きだと言った。
それ以来、健二とは良く話すようになった。健二はおばあちゃんがまだぼけてない頃から、身の回りの世話をしてくれていたそうで、私のことも良く知っていた。
あるとき、うっかりバスに乗り遅れて、健二が車で駅まで送ってくれた。私は喉が渇いて、送ってくれたお礼に、ファミレスで珈琲をご馳走したいと言った。健二はちょっと困った顔をしてから、30分だけと言って、付き合ってくれた。別れ際に、メルアドを交換した。
それから毎日ケータイで健二とつながった。仕事中も健二からメッセージが入ってないか、そればかり気になった。「シーソー、なんかいいことあった?」なんて、店の女の子にからかわれた。月に一度しか、おばあちゃんのところへは行けなかったけど、その都度、健二には(おばあちゃんに優しくしてくれるお礼に)バーニーズのシャツや、ポーターのバックをプレゼントした。健二はいつも少し困った顔をするけれど、その後「ありがとう」と笑顔になった。
健二が時たま東京に来て、私の部屋に泊まるようになった。最初はおずおずと、私の手料理を喜んでくれた。健二には、奥さんと子どもがいて、ホームの敷地に住んでいるそうだ。子どもの身体が弱いので、奥さんは働けないそうだ。ホームの給料は安く、食費を切り詰めていることも知った。私は知っている限りの高級店へ健二を案内した。「こんなの、初めて食べたよ!」瀬里奈のステーキを食べながら健二は言った。私は嬉しくて、もっと美味しい店を探した。
「2、3日でいいんだけど、1万貸してくれないかな?」とメールが来た。「1万じゃどうにもならないでしょ?」と、私は即日3万振り込んだ。健二は、約束通り、給料日に3万を返してくれた。それから毎月、月末になると同じメールが入った。口には出さないけど、余程困っていたと思う。金額は少しずつ増えていった。ある日、私は健二に言った。「いいよ、無理しなくても」それきり、健二はお金を返さなくなった。私は少しほっとした。
しばらくメールが途絶えた。私はとても心配になって、ホームに行った。健二は夜勤あけで自宅にいるという。私は、おばあちゃんを車椅子に乗せ、敷地にある健二の自宅へと向かった。ドアのベルを鳴らすと、なんだかやつれた健二が、顔をだした。
2人で車椅子のおばあちゃんを見つめながら、話をした。「娘が、難しい病気でさ」と健二がため息をついた。「そうなんだ」私は、おばあちゃんの襟元を直しながら答えた。「川村さんって、フーゾクやってるの?」初めて、健二が私のことを聞いた。私はそれには答えずに、車椅子の向きを変えた。「風が出てきたから、ホームに戻るわ」健二はうなずいて、一緒に並んで歩いた。車椅子を押す私の手を、健二の手が強く握りしめた。「金、貸してもらえないかな」私は答えず、ホームに向かって歩き続けた。
東京に戻って、私はありったけのお金をかきあつめ、健二の口座に振り込んだ。
翌日、仕事中に健二からの着信があった。2度3度どころでなく、大量の着信だった。おばあちゃんに何かあったかと思ったけれど、それならホームから連絡がある。私は翌朝を待って、電話をかけた。
「もしもし」ケータイを通して、息づかいが聞こえた。
「汚い。」女の声が聞こえた。「汚いお金を振り込んだのはアンタね」女の声は震えていた。
「はぁ?誰よ?」私は出来る限り、はすっぱな声で答えた。「アンタは金で、健二の心を買ったのね」健二の奥さんが、あんまりひどい言葉を使ったので、私も声を荒げた。「子どもが死にそうなんでしょ、親のくせに、汚いもクソもないじゃん!」
ひとしきり間があいて「子どもなんて、いないわよ」と、静かに奥さんが言った。
私は思い切りケータイを床に叩きつけた。あっけなく私のピンクのケータイは息絶えた。
それから間もなく、おばあちゃんが死んだ。もう、特養に行くこともなくなった。
あれから3年、相変わらずおばあちゃんの名前で、わたし宛に梨が届く。
出典『都会の底で』サロンアンソロジー 鹿鳴館出版局
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