町道場の息子で剣の腕もたつうえに、二枚目の顔だったものだから、新之助はたいそうモテた。武家の娘も商人の娘も新之助に口説かれては嫌とは言わなかった。
江戸の町は平和で、幕末騒乱の音が江戸に届くのはまだまだ先の話だった。
その娘は新之助に誘われたことには有頂天だったが、追分池に行くことはためらっていた。
「嫌よ。もう、夕刻になるもの。あの池は怖いわ。お化けが出るって話なのよ。新之助さんも聞いているでしょ」
「お化けが出るなら私が退治してやるよ。それにお化けの噂があるからこそ、あそこなら人目につかないんじゃないか」
そう口説かれて娘は渋々と新之助に従った。追分池の畔、釣りをするものが休憩所にしているような簡素な木製の椅子のあるあたりに二人が着いた頃には、もうすかっり日が暮れていた。新之助はさっそくに娘の着物を割ろうとするが、そこでも娘は抵抗する。もちろん、娘もその気であったわけだから、その抵抗は娘らしさの演出であるし、そんなことは新之助もよく知っていた。
「恥ずかしい」
「誰もいないよ」
「だって、あそこの木の陰に人がいそうな気がするの」
「こんなところに人がいるものか」
そうは言ったが新之助も確かにそこに人の気配を感じた。娘は知らないことだが、信之助は前の日にも同じところで別の娘と同じことをいたしていた。その時にはなかった傘がある。
「おいたか」
声が聞こえた。娘にも新之助にも傘の間に人の目があるのがしっかりと見えた。二人はあわてて逃げた。剣の腕がたつといったとこで信之助は所詮はまだまだ子供だった。 |
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翌日、信之助は道場でその話をした。
「やっぱり出るのか。しかし、お前、どうしてあんなところに」
「鮒だよ。池の主の鮒を釣ってやろうかと思ったんだ」
「じゃあ、誰かお前の他にも釣りに来ていたんじゃないか」
そうか、と、信之助はその時に思った。娘と如何わしい関係を持つという疚しさと、娘が直前に言ったお化け話しで、あわてたが、冷静に考えれば釣りをする人がたまたま自分たちを見かけても不思議じゃない。まだ子供の二人を嗜めようと「お悪戯(いた)か」と、言ったのかもしれない。しかし、信之助も、もう後には引けなかった。
「しかし、そいつは古い唐傘で、その上、足があって、目があったんだ。その目でギョロリと睨まれて、おいてけって言われたんだ」
「おいてけ」
「ああ、おそらく私が釣り上げた鮒のことだと思う。そして、カラリカラリと下駄の音をさせて私を追って来たんだ。もちろん、闘ってもよかったんだが、私は、これは化け物ではなく池の神かもしれないと思い、鮒を池に返したんだ」
「そうか、そりゃあ、のっぺらな話だな」
話を聞いた同門の子供は、信之助の女たらしをよく知っていた。ゆえに、信之助を「のっぺら」とからかったのだった。しかし、この噂は江戸に広まると「置いてけ」と、言われて侍が逃げ、ようやく夜鳴き蕎麦屋に出会い、その話をすると、その蕎麦屋が「のっぺら坊」だったと言う話に変わってしまうのだった。
信之助はどうしたかって、そりゃ、その後もずいぶんと女たらしだったという話だ。
出典『妖怪は変態』山口師範著 鹿鳴館出版局
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