その2.
鹿鳴館サロンの書棚には芸術書と詩集と詩論書が並んでいる。そのほとんどはダダ・シュールレアリスムに関するものだ。これにも意味がある。
サロンをはじめるときには、縄と鞭が壁にかけられ、吊り用の設備があり、テーブルにはバイブが散乱する、そんな部屋になるのではないかと思われていた。鹿鳴館関係者の誰もが、自宅に保管することが難しくなりつつあるプレイ道具をそこに置こうと考えていたのだ。
しかし、実際にはそうしたことはしなかった。
どうしてなのか。それは、鹿鳴館の考えるSMというものが、そうした風俗店の一室のようなところで行われるところのSMとはまった別のものだったからなのだ。
スーツにネクタイを締めた男が優しげに笑みを浮かべる。その優しい瞳の奥で、この女を誘拐し拷問したらどれほど刺激的かと想像している。それが 鹿鳴館の考えるSMだった。鞄がパンパンになるほど縄を詰め鞭の柄が鞄から飛び出し、それを自慢気に見せてM女を誘わんとすること、それは鹿鳴館の考える ところのSMではなかった。
ゆえに、書棚にエロ雑誌が並び、鞭と縄がありバイブがあって吊りのできる設備があることを鹿鳴館サロンは嫌ったのである。そうした道具の代わりとして芸術書が並べられたのだ。
シュールレアリスムとは、矛盾した二つのもの、対立する二つの現象の融合を求めたところの芸術でもある。
善意と悪意、真面目さと鬼畜さ、聖と淫ら、そうしたものが融合する鹿鳴館サロンのSMと、その芸術はまさに融合できるのだった。
鹿鳴館サロンにダダ・シュールレアリスムの芸術書や画集や詩集が並べられたのには、そうした理由があったのだ。
鹿鳴館サロンは「秘められなければどんなワイセツにも性的刺激を受けない」と考える者たちの集うところなのである。
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