ここにある小説は当然だが妄想である。ただ、その妄想は鹿鳴館サロンにおいてはじまる妄想である。鹿鳴館サロンにあった小さな事実からはじまる妄想である。
筆者は喫茶店でしか小説が書けないので、残念ながらサロンから生まれた小説にはならない。サロンにあった小さな事実をサロンの中で熟成し、そして、どこかの喫茶店とかファミレスのようなところで形にしたものだ。
ゆえに、ここにある小説は妄想だが、これは鹿鳴館サロンそのものでもある。
鹿鳴館サロンというものは、性の遊び場ではない。そうしたものを望むならハプニングバーとかSМパブなどに行けばいいのである。しかし、鹿鳴館サロンは文化サロンでもない。やはり、その原点にはSМがある。もっと広義に言うならアブノーマルな性がある。ゆえに、小さな行為は必要なのだ。いっさいの性的行為を禁止したところには鹿鳴館サロンの意味はない。ただ、その行為を目的とするような人にもサロンは意味のない場所なのだ。
そこにある小さな事実、それによって妄想を膨らますことのできる人たち、そんなマニアな人たちの集う場所、それが鹿鳴館サロンなのだ。
そうした意味で、ここに掲載される小説は、まさに、鹿鳴館サロンを象徴するものなのである。
鹿鳴館出版局 |