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SM小説

鹿鳴館

 



孤独

「寂しさと心細さから解放されたことは一度もありません」
  彼女はゆっくりと語った。背中と胸が大きく露出する真っ白なセーターから、薄いブルーのブラがのぞいている。人間の中にブリザードを見たような気がした。ゾッとするような美しさと書けば素直かもしれない。
  スリムなボディに似合った細長く小さな顔。笑うと唇の横にいくつもの皺ができる。それがまた可愛いのだ。まだ、幼さが残る童顔は高校生と言われれば、そうかもしれないと思えるのだが、すでに二十五歳だった。童顔でありながら妖麗さも備わっていた。
「恋愛もしましたよ。この人のことが好きなんだという実感はありました。でも、どんなに好きな人ができても、その人に抱かれているときでさえ、私は寂しかったんです」
  寂しいのと不安なのは違う。しかし、彼女にはその違いが分かっていないようだった。
「ここに初めて連れて来られたとき、覚えてます」
  覚えている。印象的なカップルだったのだ。何しろ、サロンには複数の男女がいるというのに、彼女は自己紹介もそこそこに全裸になることを強要されたのだ。そして、希望する男のお客たちのモノをくわえさせられたのだ。
「陶酔した顔してたでしょう。淫乱だからオチンチンは何本だってくわえちゃうって顔だったでしょう。でも、本当は嫌だったんです。惨めだったんです。知らない男のオチンチンなんか触るのも見るのも嫌。それをくわえさせられたんですよ。あんなこと喜ぶ女がいるわけないじゃないですか」
  しかし、その夜、彼女は確かに「いろんな大きさのオチンチンを味わえて幸せ」と、私に言ったのだ。それも、嬉々として彼女は言ったのである。
「裸を見られるのだって、ものすごく惨めなんですよ。おなかだってたるんでるし、お尻の肉も垂れているでしょう。こんなみっともない身体なのに、喜んで脱げるはずないじゃないですか」
  確かに、その肌は十代の張りのある肌ではなかった。特別に身体を鍛えたのでもない肉体は、確かにたるんでいた。それが愛らしいと言えば愛らしいし、モデルのヌードと比較すれば、見劣りのするものでもあるだろう。
「でも、ものすごく惨めな間。私は私であるという実感を持てるんですよ。だって、その間は私が注目されているわけですよね。全裸になって足を開けば、こんな私でも注目してもらえるんです。だって、そうしなければ、私は注目されたことなんてないんです」
  確かに人間には話題の中心になるタイプと、決して話題にされないタイプがある。別に話題にされたから、何か特別な快感がるのかと言えばそうでもない。それでも、人は注目されたがるのだ。特に女の子というのは、自分がヒロインになりたいと切望するものらしい。特別、他人に誇れるものがない女の子ほど、このヒロイン願望は強い。
「本当はスタイルとか、趣味とか、仕事とか、そうしたもので、話題の中心になれればいいんだけど、私には何もないの。ブスではないと思うの。でも、美人ではない。スタイルだって普通だとは思うの。勉強もスポーツも普通だった。みんなを楽しませるような、おしゃれな会話もできない。上品にお話しできる女の人が羨ましい。でも、私には真似できない。だから、M女なの。いじめられているときには、注目してもらえる。たとえ、一対一だったとしても、その相手は私にだけ注目しているの。それがいいの。他の女の子でなく、私にだけ興味を持ってもらえている瞬間が好きなの」
  彼女はサロンでちょっとした事件を起こしたことがあった。
  その時には彼女以外の常連のM女が来ていた。アナルの好きな女の子だった。そして、悪いことに、その夜はアナル責めの好きな男たちが多く集まっていた。しかも、サロンには、アナル用のガラス性クスコが持ち込まれていて、それによって直腸まで覗くことができるとかで、集まったものたちの興味はそちらに集中していたのだ。
  彼女をサロンに連れて来た男の興味さえもが、そのM女にいった。
  その時、彼女はその騒動には興味のなかったM男に強制して、自分の乳房を剃刀で切らせたのだ。M男には、もちろん、そんな経験はなかったから、その程度で、大量の出血があるとは思えなかったのだろう。
「わあああ、すみません、どうすれば、ごめんなさい、あの」
  剃刀の傷は鋭く、出血も激しいが、決して深い傷にはならないので、止血は難しくない。そう焦ることではないのだが、M男にはそれは分からなかったのだろう。その上、彼女は自ら傷口を開いて「血が止まらない」と、訴えたのだ。
  私はサロンに用意されていた消毒液とタオルで止血した。彼女を連れて来た男は、いつものことなのだろう、冷静に、いや、冷ややかに彼女を見つめていた。
  その騒動で、その日のプレイは終わってしまった。アナル好きのM女も彼女を心配して、すっかり醒めてしまったのだろう。
  その事件は彼女のM性を象徴するような事件だった。そして、彼女はその夜から、一人でもサロンを訪れるようになったのだ。
「覚えてる、あのときの傷、まだ、消えてないの、あのM男、ずいぶん深く切っちゃったみたいなの」
「でも、あれは、あなたがさせたことですよね」
「ええ、だからあの人には、罪はない、悪いことさせちゃったと思ってる。でも、自分から皆の視線が離れて行くのが、私にはガマンできなかったの。ものすごく寂しかったの。ねえ、あのときの傷、見てくれる」
  彼女はそう言うと、セーターをめくり上げ、ブラもめくり、そして、均整のとれた大きさの胸、ツンと上を向いた小さな乳首をためらうことなく露出した。乳首の少し下の部分に五センチ以上はあると思う傷があった。その部分だけ皮膚が盛り上がり、やわらく白い乳房の美観を損ねていた。
「ばかな女でしょう。こんな傷を本気で残したいはずなんてない。でも、無視されるのはもっと嫌なの。無視されるぐらいなら死んだほうがましなの」
  寂しいより死んだほうがいいと言ったときの彼女の目はしっかりと私を見つめていた。一瞬だが、私が彼女の恋人かSMプレイの相手なのではないかと錯覚させられてしまったほど、強い視線を私は感じた。
  私は吸い寄せられるようにして、彼女の乳房に唇を重ねた。
「お願い、優しくしないで、優しくされると期待してしまうから嫌なの」
  彼女の言葉に私は自分をとりもどした。あわてて自分をとりもどした気分だった。それはたとえば催眠術からいきなり目覚めさせらるような、そんな気分だった。その夜は、何事もなかったし、また、私もそれ以上に何かをするつもりもなかった。悪くたとえるなら蜘蛛の巣から、かろうじて逃れたようなそんな気分だった。
  彼女のプレイ相手が、彼女との交際を長続きさせることはなかった。最初に彼女をサロンに連れて来た男も、すぐに彼女との関係をきった。何しろ、彼女の目的は性的な行為にあるわけでもなく、また、恋愛にあるわけでもないのだら、当然だろう。たいていの男は彼女の外見とM女であることに魅了されて近づくが、すぐに離れた。誰れもが彼女の中の深い孤独を埋めることなど不可能だと知ることになり、彼女とはいっしょに生きられないことを悟のだった。
「私はこんなに素直に尽くすMなのに、どうして皆、私から離れてしまうのかな」
  そんなことを彼女に尋ねられたことがある。
「素直な気持ちで、素直に束縛されたら、あまりに窮屈で息ができなくなるからじゃないかな。でも、素直なだけだから、本人には束縛しているという自覚さえない。あなたにかけた縄と同じ数だけ、相手はあなたに縛られるのだと思いますよ」
「だから執事さんは私を縛らないの」
「そうですよ。一度、あなたを縛ったら、あなたは、誰れにも彼れにも、私に縛られたと言うでしょう。そうしたことは秘事なんですよ。それを言いふらすのは、そうすることによって私を束縛したいからなんです。いえ、私を貶めることで独占してしまうつもりかもしれませんね。でも、そうして私を束縛したって、あなたの寂しさが癒されることなんかありません。私も寂しいところがあるので、もし、二人で肩なんか寄せ合ったら、そのまま、二人だけの孤独な世界に陥るかもしれないでしょう。氷づけの幸福なんて誰れも求めませんよ。もちろん、私だって嫌です」
「それって、私が執事を愛するかもしれないってこと。さすが、執事、女に自信あるのね。でも、私は執事はタイプじゃないから、執事とだけは恋愛しないよ」
  恋愛を恐れる人間などいるものではない。恋愛でないから怖いのだ。しかし、彼女にはその違いは分からないのだろう。
  一度だけ、彼女から失恋の思い出話しを聞かされたことがある。今の相手ではなく、遠い昔、まだ、彼女が学生だった頃の話しらしかった。それにもかかわらず、彼女は涙ながらに、その寂しさを訴えた。
「私は皆の人気者になりたいなんて思ったことない。別に男性にもてたいとも思わない。ただ、誰れにも嫌われたくないの。愛されたいって思うことだってないの。ただ、捨てられたくないの。愛なんていらないから、捨てないで欲しいの」
  人間は矛盾している。彼女も最初は寂しいから、その寂しさを慰めてくれる相手が欲しかったはずだ。ところが、友だちなり、恋人なりができ、会っていっしょにいる間は寂しさはなくなるが、今度は別れた後の寂しさが強烈になる。寂しさを紛らわせようとした行為が、より、大きな寂しさを連れて来るのだ。愛されなければ寂しさからは解放されない。しかし、寂しいのが怖くて愛を拒絶してしまう。愛されても愛を失った後のことを考えて不安になる、寂しくなるのだ。
「縛られたいの。縛られている間は、私は一人じゃないでしょ。できれば、縛られたまま、たいせつに飾られたいの。そういえば、父はバイクが好きで、とてもバイクをたいせつにしていた。眺めて、手入れして、乗って、自慢していた。私はあのバイクになりたかったのかもしれない。そういえば、私がSMのパートナーに選ぶ人は皆、バイク好きだったかもしれない」
  私は彼女に縄をかけた。その行為に大きなリスクがあることは分かっていたが、そうしてあげずにはいられなくなったのだ。不自然な形に拘束し、彼女を眺めた。縛っては解き、解く度に衣服を一枚一枚脱がせた。最後には全裸にした。
  手入れされていないアソコのヘアーは、形が悪く、その上、やや濃かった。私はそのヘアーを優しく撫でた。剃刀で、形を整えた。盛り上がったお尻には、ローションを塗りこんだ。その盛り上がった二つのふくらみの中心の小さな蕾にも、優しくローションを塗った。いつもの私なら、その蕾に指を挿入するところだが、それはしなかった。代わりに皺の一本一本を丁寧になぞる。
  彼女の口から、あわい吐息が漏れる。快感の調べのようでもあり、寝息のようでもある。しかし、私のほうは興奮してこない。むしろアソコは縮みあがっている。
  彼女を縛る縄から、愛撫する肌から、彼女の冷たさが私の中に流れこんできた。その冷気は私の指や掌を通して血管の中に流れこみ、心臓から私を冷やした。
  全裸で縛られた彼女の肌には、うっすらと汗が浮かぶ。ところが服を着たまま動き回る私は震えるほど寒かった。その寒さの中で興奮し勃起させるほど私は若くなかった。
  その夜、私は時間ぎりぎりまで彼女を縛っては眺めた。そして、彼女が帰ると、私は疲れきって、そのままサロンのソファで眠ってしまった。
  彼女はその夜を最後に、二度とサロンを訪れることはなかった。縛る以外に何もできない私に見切りをつけたのか、それとも恵まれた恋愛をすることになったのか、それとも、SMそのものから離れたのか、もう、その真相が分かることはないのだろう。
  こうして小説を書いて彼女に呼びかけているのは、私の未練なのかもしれない。あの抜けるような白い肌にもう一度、縄を入れてみたいのかもしれない。同時に私はひとつのことが不安になった。
  あの白い肌、溶けるようなやわらかな身体。彼女は本当に人間の女だったのだろうかという不安だ。もしかしたら、彼女との秘め事を他人に話した私は、彼女に殺されたりしないだろうか。
  キーを打ち込むこの指の震え、この寒さが尋常でないのは、どうしてなのだろうか。




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