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SM小説

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ある土曜日の事件

  旦那との結婚を決めたのは私だった。親が決めた結婚というわけでもなければ、お見合いでも、親や親戚の紹介というわけでもなかった。私の旦那は仕事の関係で私が世話になった男で、その当時は女子社員の間でも、ちょっとした人気者だったのだ。
 だから彼にプロポーズされたときも、決して悪い気分ではなかった。
 しかし、その私が今は、その旦那に秘密で、このおかしなサロンに通っている。別に何もするわけでもない、ただ、変態を自称する人たちが集まって話しをしているだけだ。私はその話しをニコニコと聞いているだけ。なぜなら私には話しをすべき何ものもないからだ。
 聖水の上手な飲ませかたについて力説する女性がいた。身体中に作られた鞭の痕を自慢気に見せる女の子もいた。彼女はそれを見せるために男たちの前で着ているものを脱いでしまった。ふっくらとした美味しそうなお尻には、無数のミミズ腫れがあった。一人の女性がふざけてその鞭痕を見るふりをして、ふたつの膨らみを割って見せた。お尻の穴の黒ずんだ窪みが私の目にもハッキリと見えてしまった。旦那のそんなところでさえ私は見たことがなかったから、生まれてはじめて見た他人のお尻の穴だったかもしれない。
 しかし、私にはそんなことができないので、ただ、笑っているしかなかった。
「今夜は誰れもいないんですね」
 誰れもいないサロンは初めてだった。
「ピノさんとゆっくり話せるいいチャンスじゃないですか」
 執事と名乗る人がそう言って笑った。この人の性癖が私には分からなかった。その日によってSだと言ったりMだと言ったりしていた。どちらの経験も豊富にあるようで、たくさんの話しを持っていた。サロンには、その話しを楽しみに来る人もあるようだった。
「でも、私と二人きりでは退屈ですよね」
「まさか、私は誰れといたって退屈なんてことないんですよ。それにピノさんは、絶妙なタイミングで相づちを打つし、絶妙に笑ってくれるし驚いてくれるから、みんな話しやすいんじゃないかな」
 そんな見方があるとは思わなかった。旦那にはいつも、そのことで叱られていた。自分の意見をしっかり述べろとか、何を考えているのか言いなさい、と叱られるのだ。
「私は皆さんのように、SMもできないし、変態の体験もないから、このサロンでは浮いているのかと思ってました。本当は来て欲しくないのかなって」
 それなら、どうして何度もサロンを訪れたのか、それは私には分からなかった。ときどきは旦那に嘘をついてまで、私はサロンに通っていたのだ。
「私もね。小学校四年のときにSMの妄想をはじめてね。それからプレイしたのは、十二年後ですよ。十年以上は妄想だけでしたからね。ピノさんが妄想の中にいるの、それほど珍しいことではないんですよ」
 ああ、そうなんだと思った。そして、ここが他のSMマニアの方たちとの違いなのだとも思った。
 インターネットに興味を持ったのは仕事の関係からだった。ある作家のファンでその作家について語るサークルに入ったのが最初だった。そこで、すぐにたくさんの人と会うことになる。会わなければ親交は深まらないと言われつづけたからなのだ。しかし、会えば、求められるのは恋愛だった。旦那がいることを知っても相手はつかの間の恋愛を楽しもうと言ってくるのだ。
 それが煩わしくなって、私は、出会い系のサークルに入った。いっそ、恋愛抜きに身体を求めて欲しい、そのほうがいいと思ってしまったからだ。止めようとは思わなかった。止めてしまうには、私は寂し過ぎたのだ。しかし、セックスには後悔しかなかった。他には何も残らなかった。
 自分にはセックスがむいていないのだと思ったのは、その頃だった。思えば旦那とのセックスでも、その前に関係した何人かの男たちとのセックスでも私は感じたことがなかったように思う。
 セックスがだめならSMがあると私は単純にSM系のサークルに入ることになる。短絡的になっていたのだと思う。性的なものに耽れば寂しさもなくなるように錯覚していたのかもしれない。
「そういえば執事さんは、私にプレイを勧めませんよね。私なんか魅力ないでしょうけど。少しは縛られてみたい気もあるんですよ」
「縛りはいいですよね。今度、やりましょうね。私の日でなければ、いくらでも縛ってあげますよ。私の日では、誰れかが来て中断されると嫌ですからね」
 誘わない。誘われないからこそ、私はこのサロンにのめりこんだのかもしれない。
「教えてください。執事さんにとってSMって何なんですか」
「それしかなかったんです。顔やスタイルがいいわけでもないしね。勉強もできないし、スポーツもだめ。ケンカも強くないし、ギターも弾けない。それでも、女の裸は見たいわけですよ。でも、セックスの対象にはならないでしょう。そんな何の取り柄もない男が、セックスしなくても裸の見られる方法、裸に触れられる方法がSMだったんです。誘拐した女を縛っていたら、何しても自由ですからね。そのときには、じっくり裸を見ることができるんだろうなあって、思ったんですよ。それからSMのことばかり考えるようになってね。今だって、セックスしたいとは望まれなくても、縛って欲しいと望まれれば、それでも裸を見ることができるし、裸に触れることだってできる。私のSMはもてない男のSMですよ」
 その話しを聞いているとき、私は旦那のことを思い出していた。自分が望んでの結婚だった。でも、本当にそうだったのだろうか。私は旦那を好きだったのではない。旦那を好きだと思いこんでいただけだったのだ。
 この旦那なら両親がよろこぶだろうと思っていた。この旦那なら友だちが羨むだろうと思っていた。
 だから私は旦那との楽しい生活は想像していなかった。いっしょに過ごす休日の楽しい時間や、二人で何かをすることは想像していなかった。私は旦那との結婚は望んでいなかったのだ。
 これは政略結婚を一人で演じたようなものだと思った。
 執事は性の欲求に忠実だった。目の前の快楽を高めようとしていた。目の前の快楽を高めるための妄想をしていた。幸福な自分のために生きてきたのだ。
 私は違う。周囲を納得させる自分のために生きてしまったのだ。だから私には何もないのだ。
「いつなら縛ってもらえるの」
 急に私は縛られたくなった。いえ、縛られたかったのではない。もっと窮屈な状態にしてもらって、そこから解放してもらいたかったのだ。解放してもらうためには、一度、おもいっきり縛られてみなければならないと思ったのだ。
「では、今度の舞衣さんデーに、こちらの部屋で縛られてみましょうか。皆に見られますよ」
 いつか見せられた女の子のお尻の穴が脳裏をよぎった。私が晒されてしまう。あんな恥ずかしい部分まで、全てが晒されてしまう。隠そうとしても、隠しようがない。私は縛られているのだから。
 そうだ。旦那は私に自分のことをハッキリ言いなさいと叱るけど、自分は私の何も見ようとしていないのだ。言葉でなくても、私は私を晒せるんだ。
「恥ずかし過ぎて濡れるかもしれませんから、タオルは敷いてくださいね」
「ええ、ピノさんは私が十年かかったところに、わずか一カ月で到達してしまうのかもしれませんね。それもちょっと悔しいです」
「それだけ執事さんが魅力的な人だったからだと思います」
 そう言い残して私は廊下を玄関に向かって歩き出した。希望に満ちていた。縛ってもらえる。晒してもらえる。そして、解放されると思ったからだ。
 思えば、私は自分でさえなかったのだ。それは子供の頃からそうだった。良い子を演じ、できる子を演じ、できる女を演じ、できる妻を演じようとしてきたのだ。それらはすべて私でないものだった。もしかしたら、女であることさえ、違ったかもしれないのだ。
 そうした私の間違いは、すべて、執事に縛られて分かるのだと思った。
 それが私にとっても希望だった。
 気持ちが晴れ晴れとして、私は廊下を歩いていた。その廊下は百メートルもあるように感じた。その夜だけは、いつまでも帰りたくない気持ちだったから、その廊下が終わらなければいいと思ったのだ。
 でも、いつもなら後ろから私の後につづく執事の気配がない。白いカーテンのところで急に不安になった私は後ろを振り返った。
 執事の姿がない。
 玄関には私の靴さえなかった。

「ああ、今夜はついにお客がゼロだったんだ」と、誰れの靴もない玄関を眺めて、私は大きくため息をついた。そして、片づけの必要もない部屋にもどって電気を消した。



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