鹿鳴館サロン
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鹿鳴館の歴史




創世記 その5


 筆者はとにかく退屈していた。女性のオシッコが見たかった。排泄させたかった。縛りたかった。苦痛に歪む顔と涙が見たかった。悲鳴が聞きたかった。しかし、それらのことは全て経験していたし、経験しようと思えばいつでも出来る環境に筆者はいたのだった。そして、筆者はそれらのことに興味を失っていくのだ。
  アポリネールの怪しさは日本のSМの中には作れなくなっていた。仕事だったので、筆者は鞭を打ってもいい女性に鞭を打ち、他人の前で平気で排泄できる女性に浣腸した。退屈だった。
  サイト鹿鳴館でも同じことが求められた。写真でユーザーを集めよう、過激な写真と過激なショーで人を集めようと提案された。それは酷く退屈なことだった。その一方で、筆者が作りはじめたマニア雑誌は何をやるのも自由だった。マニア界の重鎮を驚かせることは出来ると思った。思ったが筆者はそれをしなかった。なぜなら、より大きな衝撃を彼に与えるためには、まだまだ資金力が足りないと考えたからだ。少しの間、儲かるマニア雑誌を作って資金を貯めようと考えていた。ゆえに、いつも通りのマニア雑誌を作るしかなく、そのことが筆者をひどく退屈させるのだった。
  サイト鹿鳴館もマニア雑誌編集と同じぐらいに退屈だったのだが、そこに筆者はひとつの可能性を見てしまうことになった。
  サイトを飾る写真を撮ることになったとき、サイト鹿鳴館を作った男はハンズで売っているパーティ用の紙の衣装を用意したのだ。紙である。エロ雑誌では考えられないことだった。紙のセーラー服など着せても安っぽいSМにしかならない、と、そう筆者は思った。
  しかし、写真はハリボテを受け入れた。意外なほどイメージが出来るのだ。いや、紙だからこそよかったのだ。似合わない中古のセーラー服を強引に着せるぐらいなら、いっそ紙でよかったのだ。イメージは観た人が高めればそれでよかったのだ。
  筆者たちはリアルを求めるあまり、いつしか読者の妄想力をバカにしていたのである。読者はバカではない。小さなヒントさえあれば妄想を膨らませることができるのだ。
  紙の服は広告業にいた男ならではの発想であった。そして、その発想はエロ本屋たちが忘れようとしていた発想だったのである。筆者は驚いた。そして、もう一度やってみたくなったのだ。マニア世界における空想表現という手法のビジネスを。




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