鹿鳴館サロン
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官能文学辞典

   その一. 序文
   その二. 「読まなかった」
   その三. 「解剖ごっこ」
   その四. 「覗いていたもの」
   その五. 「お馬さんごっこ」
   その六. 「小部屋」
   その七. 「映画の記憶」
   その八. 「記憶している性癖」
   その九. 「消えた雑居ビル」
   その十. 「卒業アルバム」
   その十一.「特別編」
   その十二.「祖父の家」
   その十三.「ラジオ放送」
   その十四.「路地」
   その十五.「記憶から消えた女の子」
   その十六.【未定】

 


記憶している性癖

  別れてから二十年が過ぎていた。しかし、別れた後も同じ業界で仕事をしていたわけだから、むしろ、この二十年の間に一度も会わなかったのが不思議なぐらいだったのだ。 
  もちろん、風の噂に彼女のことは聞いていた。きちんと仕事をして、結婚こそしないもののけっこうなキャリアになっているということだった。 
  もはや私たちの過去の関係を知る者もいなくなった業界で、私たちは偶然再会した。その再会をこっそりと二人で祝うために、昔、二人でよく行った店を久しぶりに訪ねることにした。 
  思えば、あの頃の私は酷いものだった。私はSMマニアなどではなかった。ただ、自分が何をしても自分と別れようとしない女を持ったことに歓喜していただけのつまらない男だった。性的に興奮していたのは確かだが、それは行為によるものではなかった。女を支配している、その歓喜が私を性的にも興奮させていただけなのだ。ゆえに、行為はすぐにエスカレートしていった。 
  私は思いつくかぎりの残酷さで彼女の精神と肉体を責めつづけた。 
  そのあまりの恐怖に、ついに彼女はついて来れなくなり、私たちは別れたのだ。別れ話が出たとき、私は安堵したのだった。これ以上に行為がエスカレートすれば自分はこの女を殺しかねない、と、そうした不安が私にあったからだ。 
「懐かしいね」 
  私は最近はすっかり飲まなくなったジンを飲み、彼女も昔のままに薄いブランデーの水割りを飲んでいた。 
「元気そうだね」 
「あなたもね。相変わらずのマニアなの」 
「いや、あれからはすっかり。今は結婚して平凡に暮らしているよ。日常も、性も、普通のまま、あの頃の自分が信じられないぐらいだね」 
「止められるものなのね。私はだめ。相変わらず、こっそりと男を見つけては調教してるの。でも、あれから二十年、いろいろな男を調教したけど、あなたほど何でも耐えられる従順な男は二度と見つけられなかったなあ」 
  私は久しぶりに飲んだジンのせいなのか頭がクラクラとして彼女の言っていることが分からなかった。何を聞いても記憶は蘇らない。あの頃、彼女を責めていたのは私だったはずだ。しかし、彼女は逆だと言う。 
  あれからSMをしていない私。あれ以後もSMを続けた彼女。それを考えると、どうやら彼女の記憶のほうが正しいようにお思えてくる。しかし、私には自分がMだった記憶はなく、また、彼女が自分の責めによって泣く様子ははっきりと記憶している。 
「久しぶりにプレイしてみる」 
「いや、もうSMはいいんだ」 
  店にはスイングジャズが流れていた。あの頃にはテクノが流れていたはずだった。年老いたマスターにそのことを尋ねるとマスターは笑って言った。 
「昔は私自身がテクノのバンドなんかやっていてね。でも、最近は自分がテクノ好きだったという記憶さえあやふやなんですよ。なんだか自分は昔からジャズを聴いていたような、そんな気がするぐらいなんです。それが老いるということなんでしょうかね」





















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