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官能文学辞典

街が暗かった頃

 最近はあまり見られなくなったが私が子供の頃には、自転車でならかろうじて通り抜けられるが、車など入りようもない細い路地というものがたくさんあった。そうした路地は、たいてい舗装もされていないかった。そして、路地に面して立てられた家のほとんどはその路地に背を向けていた。
  その土地に住む者でなければ通り抜けが可能かどうかさえ疑うような細い路地。しかし、子供というものは、あえてそうした路地を選んで歩くものだから面白い。私も例外でなく、よく、そうした小道を歩いていたものだった。
  小道の奥には家があり、その家の横に、それこそ自転車さえ通り抜けができない程度の抜け道あるだけの、昼間でも、めったに人あ通らない、ほとんど袋小路ような道の中ほどにその窓はあった。
  私の身長よりも少し高いブロックの塀の上、一メートル四方ほどの小さな窓。窓は中の電気で黄色に染まっている。そして、水音が聞こえてくる。いつもなら、そんなことは気にならないが、その日は違っていた。
「なんか大きくなーい」
  色気のある大人の女の声が聞こえたのだ。その窓からだった。身体が水の中で動くような音も聞こえた。
「普通だろう」
「大きいよ。どうして、普通の知ってるじゃない、やだ、どうして嘘つくの、大きいでしょ」
「そんなこと……」
  声が大きな水音にかき消された。湯を身体にかけている音なのだろう。私はその場を動けなくなった。女は何を見ているのだろう。二人はどんな状態で向き合っているのだろう。そんな空想に私のまだケガレ少ない心臓は高鳴っていたのだ。
「なに、どうしたの今日、おかしいよ。ねえ、何かあったの。何か食べた」
  水音に混ざってかすかに聞こえる女の声。男も何か言っているようなのだが聞き取れなかった。何をしているのか分からないが執拗に湯をかけているような音が続く。
  この塀を登ればシルエットながらも中の様子が見えるかもしれない。私はそう思って周囲を伺った。ところが、少し離れた二階の部屋の窓が開いていて、中で掃除をしているらしい女性の姿が見え隠れしているのだ。あの女性に見られてしまう。いや、もう、自分がこんなところで立ち止まっているのを見て不審に思っているかもしれない、と、そう思うと怖くなって私は路地を進んだ。無意味に辺りを歩き、勇気を出して、その路地にもどる。怪しい人がうろうろしていると通報されているかもしれない、そんな不安を抱えながらも、好奇心には勝てなかった。たくさんの言い訳を考えながら、その窓の下までもどったときには、もう、その小さな窓には明かりはなくなっていた。水音も人の声もない。まるで少し前のことが錯覚であったかのようにシーンとしている。窓の黒さは周囲のモルタルの壁や本来は白いはずのブロック塀の黒さよりさらに黒く染まっていた。辺りがすっかり暗くなり、路地にころがる無数の石ころさえ見えなくなっていた。
  見上げると、私が警戒した二階の窓の明かりも消えていた。
  街には、ちゃんと闇があった頃の話しなのだ。

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