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官能文学辞典

蔵のある家

 その家には近づいてはいけないと言われていた。工業地帯には珍しい広い敷地に建てられた大きな家で、家というより屋敷と呼ぶほうがふさわしいものだった。屋敷の横は工業地帯に向かう単線の線路があり、線路と屋敷の間の小高い丘の上には公園があった。公園といっても、遊具は少なく手入れが行き届かないのか、シーソーなどは雑草で使えなくなっていた。
  私はその公園に行くのが好きだった。それは親や先生がその公園に行くことに反対だったからなのかもしれない。
  公園の錆びついたジャングルジムにのぼると、そこから屋敷の一部が見えた。母屋から離れて小さな家があり、その家の窓には石の扉があった。今から思えばそれは家ではなく蔵だったのだろうが、子供の頃の私には、その違いは分からなかった。
  あの家には誘拐され監禁された子供がいるのだとか、屋敷の若い嫁が旦那に折檻されて閉じ込められているのだとか、子供たちは、いろいろと勝手な噂をしあっていた。
  噂が怪奇談ばかりになってしまったのは、おそらく、その屋敷に近寄るな、と、大人たちが言ったことによるせいだったのだろう。そして、本当は、大人たちが子供を近づけたくなかったのは屋敷ではなく、その人気のない線路脇の道や公園だったのだろうが、そんなことは分からないから子供たちは屋敷に纏わる恐ろしい噂ばかりを空想しては楽しむようになっていたのに違いない。
  そんな大人の事情を知らない私は、ジャングルジムの上から蔵の石の窓を眺めるのが好きになった。
  その日も、いつものように、その蔵を眺めていた。
  すると、どうだろうか、蔵の扉は少しばかり開いているのだ。窓ではなく、重そうな扉が開いていたのだ。私は必死になって蔵の中を見ようとするのだが、ぎりぎりのところで中までは見えなかった。
  蔵の中は見えなかったのだが、ジャングルジムから隣の工場の屋根に移ると、そこからは蔵の前の庭が少しばかり見えた。そこに妙齢な婦人と老人がいた。老人は車椅子に座っているようだったが、それが車椅子なのかベンチだったのかは分からなかった。
  老人は杖を何度も振っていた。上下にも左右にも振る。何かを指し示しているようでもあった。声は聞こえないし表情も見えなかったが、私は確かに目撃したのだ、老人の杖が婦人のスカートを捲り上げるのを。いや、そう見えただけだったのかもしれない。
  二人は、やがて蔵の中に消えて行った。しばらく待ったが二人は出て来なかった。その内にあたりは暗くなった。暗くなっても二人は出て来ないし、蔵に明かりがつくこともなかった。
  まだ、子供の頃の話なので、私はそれ以上、そこにいることができず、諦めて家に帰った。家に帰ってから、一人、あの蔵の中で老人に服を脱がされ、蔵のどこかにある鉄の鎖で拘束される婦人のことを思っていた。
  それからも私は蔵の石の窓が開くのを待ったが、それ以来、蔵の扉も窓も二度と開くことはなかった。その庭に人の姿を見ることさえなかった。そのことが子供の私の妄想をいっそうかりたてることになるのだが、いつしか私はその家のことは忘れていた。小学校の校庭で放課後にサッカーをすることが流行り、私もそれに熱中してしまっていたからだ。
  屋敷の窓の妄想にあんなにも熱中していたというのに、私はそのことをすっかり忘れて大人になってしまっていたのだ。

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