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官能文学辞典

テーマ小説「境界にあるバーにて」 —第一夜— 【kaku】

 

「マスター、キンクレイス。」
バーの椅子に腰かけると男はおもむろに注文した。

カウンターしかないバーだがしかっりとした椅子があり
その椅子は身体を沈みこませることのできるほどゆったりとしたもので、
深く座ると隣に座る人の横顔を見ることもできない。
カウンターは横に長く、20人近くの人が並んで座る事が出来る。
15メートルはある。
ビルの高さで考えると4階くらいであろうか、相当な長さである。
それをバーテンダーとバーテンドレスの2人で切り盛りをする。
故に1人で10人を相手にすることもあるのでスマートにこなすとなると流石に会話は少なくなる。
そこがまた良い所でもある。この日も静寂なる盛況であった。

すぐにキンクレイスが差し出された。男は常連らしくキンクレイスの横にシガーが1本。
かわき物にクルミを煎って黒砂糖と塩で味付けされたものが添えられていた。

「マスター。今日はね、俺の運命が決まる日なんだ。たった1本の電話でね。文字通り俺は今、生死の境なんだ。」
そういうと男は携帯電話をいじりながらキンクレイス味わい始めた。

喉に入れた瞬間、蜂蜜のような香りだが印象は緑色のメロン。そしてその風味はしだいにホットケーキのような
小麦感からバニラ、バラへと変化しフィニッシュはキレがあり抜けのよい胡椒。ジンジャー、かすかな煙り感。
後味は桃。40年熟成させたとは思えない若々しさに溢れたこのモルトは
まさに奇跡のモルトと呼ぶにふさわしい 他と比べようのない突き抜けた存在感であった。

そしてクルミをひとかじり。煎ったクルミの香ばしさと濃厚な脂肪感。それを引き立てる黒砂糖の甘みと
絶妙に引き締める塩分。これがまたキンクレイスの味を化けさせ至福の時を迎える。
今度の印象はリンゴだ。そしてしっかりしたボディー感で決して広がり過ぎない。明確にショウガ。
エッジが立っているというよりは引き締まっていながら厚みを感じる。

実に優雅な時間だ。
男はこの奇跡のモルトにさらに絶妙の演出を試みる。

シガーだ。

キンクレイスの引き立て役は喫味を軽くするため長めのコイーバベーイケをチョイス。
もちろんピンホールカットで浅めの喫味。
ベーイケはいきなりフルボディーで迫ってくるような迫力が無いためまさにモルトとの相性は抜群。
優しいウッドの香りにココア、メープル。中盤からフルボディ、後味コーヒー。
運命の日に堪能する贅沢にふさわしい組み合わせとなった。
そしてバーの静寂。このくそ忌々しいまでの静寂。自分の鼓動がはっきり聞こえる静寂が
男の感覚を研ぎ澄まし、シガーとモルトを骨の髄まで堪能できる環境を作り上げていた。

時計の針が12時を示した。

「ダメか。。。。。」

男はつぶやいた。

ツィッターではなく声に出して。

男の椅子の背後にスッと2人の黒服の大男が現れ一言。

「時間のようだな。」

「ああ。。まぁ焦るな、君らもどうだ?マスター。2人にもキンクレイス。」

男は一筋の涙を流し黒服達にキンクレイスを振舞った。
2人は差し出されたキンクレイスをグビリと流し込むと男を挟み込むように抱え店の外へ連れ出した。

カウンターには男が置いていったケータイ。

マスターはケータイを手に取り何処かへ発信し、静かに語りだした。

「もしもし。今、目の前で大変なことが。ええ、3年来の常連が食い逃げしました。新しい手口だと思います。」

 

出典『境界にあるバーにて』サロンアンソロジー 鹿鳴館出版局

 


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