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官能文学辞典

「都会の底で」 —ブランコ— 【執事】

 

 ブラウスを脱ぐと視線を感じる。愛想のいい声で怒りに顔を歪ませることのできる器用な男がこちらを見ているのだ。彼の口癖は風俗店の仕事を長くやっているから、もう自分は女の裸になんか興味ない、というものだった。もちろん嘘だ。
  彼は女の子が着替えれば間違いなく視線をおくるし、スカートの中も執拗に覗いている。
  中年太りで短パンにシャツ。縮尺を変えれば子供であるが、子供にしては醜い。太った子供から幼さという武器だけを奪われてしまったような男だ。
  嫌だが、ここで我慢しなければ今月は家賃どころか電話さえ止まってしまう。大家は安アパートの階下に住む神経質そうな未亡人だ。入居のときには彼女がものすごくいい人に思えたのだが、結果はものすごく厄介な人だった。
「ねえ、ブランコさん、タンポン貸してくれない、急になっちゃったのよ」
  この店では女の子に遊具の名前を付ける、中年太りの趣味だ。オーナーは反対したらしいが、店はそれなりに流行ってしまっているので、それ以上には口を出せないらしい。
  私に声をかけてきたのはベテランの滑り台。彼女が得意なのは幼児プレイで、実際に三人も子供を育てているのだから、そりゃ幼児プレイは得意に違いない。
  私は渋々とタンポンを出した。彼女は毎月タンポンをいろいろな女の子から借りるのだ。タンポンを買うお金ぐらいケチるなよ、と思うがそうは言えない。まだ、この店にいたいのだ。
  待機室に置いてある服を着る。太った男に設定温度を合わせるものだから部屋が寒いのだ。しかし、もんくを言えば、男は露骨に客をつけてくれなくなる。客につきたければ我慢するしかないのだ。室温にも男の嫌らしい視線にも。
  服を着て座る前に、読書家のシーソーに挨拶した。彼女は本から目を上げてにっこりと笑って「おはよう、少しは稼げるといいね」と、言った。少し太っているが男好きのするタイプの愛らしい女の子だ。この店で唯一まともな女の子かもしれない。
  部屋の隅にはにこりともせずに、じっとタバコの箱ばかり見つめている女の子がいる。木馬だ。痩せ過ぎて気持の悪い気味の悪い女の子で若いというだけで男は彼女を店に置いていたのだが、客のリピートがいっさいなく、女の子の評判も悪いので、いつ止めさせようかと悩んでいるところらしい。何が面白いのかタバコばかりを見つめている。見ているとこちらまで暗い気持になる。
  自分の性を売り物にすること、そんなことには少しの悔いもない。むしろ女にしてはスケベ過ぎる私のこれは天職のようにさえ思える。しかし、この店の待機室にいると、なんだか自分は自ら望んでゴミ溜めに飛び込んだゴミのような気分にさせられるのだ。
「ブランコさん。今日もオムツの吉田さんが来るらしいから準備しておいてね。それから、ウンコは持って帰らずにどこかのコンビニのゴミ箱に捨てて来てよ」
  男が短パンの腰をずり上げながら言った。
  オムツプレイの男はどこかの会社の重役らしく上客なのだ。オムツの中でウンコを漏らし、それを私に叱られることで勃起する。こんなところでお金を使わなくても、待っていれば嫌でもそうした年齢になるのに、と、私は思うのだが、上客なので私は彼の奇妙な性癖に興味有り気なふりをしている。
「嫌ね、ウンチ」
  シーソーがぼそりとつぶやいた。
「うん、でも、臭いにはすぐに慣れちゃうから。先にご飯さえ食べておけばね」
  そう答えて私はカバンからゲーム機を出した。シーソーはいい子なのだが、いい子なだけに本気で同情してくるので、私はますます惨めな気持になるのだ。親友のハズミは風俗やるならソープにしたほうがいいよ、と言った。私はセックスが嫌いだった。変態客相手のほうが自分に向いていると思った。それがゆえに幼児プレイとSMの店「チャイルドパーク」なんておかしな店に入ってしまったのだ。しかし、今はハズミの言っていたことがよく分かった。同じ性を売るなら、セックスしたほうが、まだ、女としてのプライドを保てるのだ。少なくとも客は風俗嬢の女の部分に金を払うのだから。ところがマニアの店になると、自分の女ではない部分に金を払うのでそれがときどき酷く惨めな気持にさせるのである。
  コンビニの袋を抱えてウンテイが帰って来た。お尻の下のほうが見えているのではないかと思うほど短いパンツで、ブラが丸見えのタンクトップを着ている。日常がビーチのように明るい女の子なのだ。あのタバコの箱だけを見つめ続けている木馬とさえ明るく話をすることのできる唯一の女の子なのだ。もっとも木馬のほうはあまり熱心に答えていないから、それが会話と言えるかどうかは分からない。
「ねえ、知ってる。砂場さん、食糞プレイして、熱出して倒れてるって」
「うんていさん、そうしたことは言わないでね。砂場さんは、風邪で倒れてるんですよ」
「そうかなあ。私、昨日、彼女に電話したんだけど、けっこうやばそうだったよ」
  砂場さんはスカトロ専門の女の子だった。あまり容姿がよくなくて、でも、スカトロに応じられる女の子は多くないので、それなりにお客を持っていたのだ。ただ、彼女は食糞だけは拒んでいた。それなのに、あの男はお金欲しさに強引に彼女を食糞のお客につけたのだ。一回で十万円のプレイ、でも、彼女の取り分は五万円。その上、熱を出して休んだのでは、とても割りに合わない。私は砂場に同情した。
「だいじょうぶなのかなあ」
  シーソーが本を閉じてテーブルに置いた。
「だいじょうぶなわけないじゃん。ウンチだよ」
  うんていが怒りながら、しかし、顔はニコニコしたまま言った。
「そんなこと言って、うんていさんだって、よくお客に食べさせているじゃないですか」
「男と女は違うわよねえ」
  うんていは誰にともなく言った。
  電話が入り、私のお客がホテルに入ったことが告げられた。ご飯を食べ損なった。そう言えば彼は私のウンチを食べたいと言っていた。どうしようか少し悩んだ。店にないしょでこっそりやれば私には三万円が入る。今はそのお金がありがたい。やってあげようかな、そう思いながら私は店を出た。
  外は恐ろしいほど晴れていた。

出典『都会の底で』サロンアンソロジー 鹿鳴館出版局

 


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