「都会の底で」 —木馬— 【まき】
短大への進学と共に上京した。授業もサークルもバイトも馴染めなかった。それらは膜を隔てた向こう側で行われているものだった。クラスメイトたちの笑顔やおしゃべりには気の無い返事を繰り返すばかりだった。その時々の出来事を現実だと感じていなかった。にも関わらず成績はそこそこだった。私は公共団体職員に滑り込み東京で働き始めた。ある夏の日の仕事帰り、伊勢丹に寄った後、紀伊国屋に向かう道の途中、太った男が私に話しかけてきた。何時もの癖で相槌をしていたら、男は私の手を引いて歩き出した。男はその間も何か喋り続けた。甲高い声が鼓膜に障った。連れていかれた事務所で、男の声で鼓膜を刺激されていた。声ばかりでなく、男はいやらしい視線を不躾に浴びせていたのだろう。話す声の速度は上がり、甲高い声はさらに上づっていた。男が話すSMプレイなど知らなかった。レクチャーを受けても、そんなものか位にか思わなかった。人と比べて少し手足が長い、そんな理由で木馬と私は名付けられた。「ポニープレイを出来るとお客が喜ぶし、君も稼ぎになるから。持っておくと君のためになるから」私にはそう思えなかったが男はもう決めているようだった。持ち合わせた財布の中身では全然足り無い、人間用の馬具や鞭は明らかにお古だ。アナルに入れる尻尾でさえ、新品なのか疑わしい。しかし、言われるまま私は購入することにして、待機室にある書き古した「木馬」と書かかれたシールの貼ってあるロッカーに仕舞った。以来私は週末の夜と休日、ここにいる。
あれから何人ものお客とプレイをした。私に客の男が跨がり馬にもなった。
客は私に色々色々したがった。だが私は何も感じなかった。客たちも同じだった。
同じ客が二度私に着くことは無かった。
SMクラブチャイルド・パーク。動物を基に作られた遊具は木馬だけだ。人間どころか、動物にさえなれない私は、きっとここに居てはいけないのだ。私に話かけてくる唯一の同僚ウンテイ。彼女もまた膜の向こう側だ。
私を膜の向こう側から連れ戻してくれるのは、店長の声だけなのだろうか。
出典『都会の底で』サロンアンソロジー 鹿鳴館出版局
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