「都会の底で」 —滑り台の子供— 【smile】
「382円」
人間が最低限の生命体としての機能維持ができる最小の金額
これをもっていない僕は、人として生きていく必要はないんだとどこかで納得した。
無意味な貨幣交換価値のある僕の顔は、もったいないから100%利用する。
残念ながら情で腹は膨れないが、口角をあげ無意味に微笑むという行為は金になるらしい。徒労に終わっても試してみてもいい、なんせ僕は人間として生きている必要性はないのだから。
やるだけの事をやらないやつはいつかきっと罰があたる。
全体的に茶色かうんこ色かわからない川出リカーショップに僕の今後の運命をかけて、店内に足を踏み入れる。
萎びた棚に、頭の悪そうなビーチサンダルのカップルと、狡猾なはげの店主、変な眼鏡をかけたアロハの男がいた。
酒は3000円~10000円のそれなりにそこそこでしかない赤ワインしかない。
端の樽の上には、なんだかいろいろ詰まってそうな樟脳臭いばばあが陳列されている。
僕は変な眼鏡のアロハに決めた。
ふと小さな頃に愚鈍な母親と、頭の悪さしか思い出さない腹違いの兄弟とみた、時代劇のワンシーンがフラッシュバックする。
台所の蒸気と、泣くしか能のない弟のオムツの蒸れとは対照的に、tvの中のお侍も遊び人も乾いていて緊張感がある。
アップに映し出される、ちょんまげに結った端正な西郷輝彦の顔。
愚鈍な母の太りきった二の腕越しに西郷輝彦が叫ぶ。
「さー、丁半駒そろいました。」
「いざ、勝負!」
西郷輝彦とアロハの男の顔がシンクロする。
「そのワインはまだ飲み頃ではありませんよ」
アロハのお男にこの上なくゆっくりと微笑みかけながら手を触れる。
「あぁ…」
男の溜め息とも困惑ともとらえられる返答に僕のお腹が反応する。
「よろしければ、瞬時に飲み頃にするとっておきの方法があるのですがお試しなってみますか?」
目の前の脂ぎっている男が、僕にはステーキに見える、レモンバターと炊きたてのご飯と赤出しのついたジューシーなお肉。
「よろしければのお話ですが」
てりてりのお肉に向かって僕は微笑む、威圧的にならずかといって自身が無いように見えないさわやかなこの上ない極上の笑顔。
男の喉が鳴る。上気した男のアロハの胸元にそれとは知れないよう柔らかく、官能的に指を下ろす。
「わかった、君にまかせるよ」
あっけなく男の限界がくる。残念な気持ちと、万事首尾よくいった満足感を得て僕はお肉に命令する。
「では早く会計を済ませて下さい。」
やっと我に返り会計をするお肉のだぶついた後ろ姿が、愚鈍な母を思い出させた。
あいつに貸した、小さな頃からの積もり積もった貸しは総額12,088,934円になる。
そうだこのお肉を食べきった後に、愚鈍なあいつに請求しに行こう。
あいつの汚いバイト先は知っている。
あいつの驚く顔も、目の前のお肉の上気した顔も、人ではなくなった僕を祝福する象徴のような気がして、その日僕は心からの笑みを人知れず漏らした。
出典『都会の底で』サロンアンソロジー 鹿鳴館出版局
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