江戸時代も終わりの頃のことだったろうか。酒問屋にそりゃあ美人の娘が嫁いで来た。この嫁、元は武家の娘とかで器量がいいだけでなく頭もきれ、また、商才もあり、酒問屋としてはたいした商いもできていない店をすぐに江戸で一、二と言われる店にしてしまう。
気立てもよく、姑にも気にいられ文句のつけようがない。
ところが、たったひとつだけ、おかしな癖があった。それは若い男と見るや身体の関係を求めずいはいられないという淫乱な癖だった。
出入の若い男はもちろん、丁稚であろうと、近所の男であろうと、少しでも見てくれがよければ、とにかく手当たり次第だった。
最初は旦那もそれを咎めたりしたが、思えば、それ以外には何も問題はないし、嫁の稼ぎで自分は女遊びも自由にできる、もちろん、それを咎めるどころか、その話を聞いて身体を火照らすような女だった。それがゆえに男遊びを理由に離縁するには、あまりにも惜しい女であった。
定吉も丁稚奉公するとすぐにこの若女将に呼ばれた。
部屋に入ると「何をしておった、首を長くして待っておったぞ」と、言うなり、その妖艶な手足を若い身体にからみつかせてきた。
翌日、その話を先輩の丁稚にすると「おまえも首を長くして待っておったと言われたか」と、言われ、あとは女将さんの床上手にくらくらさせられた話となった。
「何しろ、全身にからみついてくるし、吸いついてくる。おら、もうこれなら食われてもいいと思っただ」
定吉はそう言って夢見心地となった。たいていの若い男は同じように女のことを語った。
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ところが巷では店の評判はよくなかった。
「あそこの問屋には妖怪が棲んでいるらしい、あの店が儲かるのは妖怪を使っているからだ」
儲かる店のことはとかく悪く言うもの。仕方ない。
「女将さんは、おらにも首を長くしてって言って、それでおらにもからみついて来ただ」
丁稚たちは噂し合った。
「あそこの問屋の妖怪は首が長くて、その首で丁稚にからみつき絞めあげるのだそうだ」
いつしか江戸にはそんな噂が広まった。まだまだ、女に性欲があるなどということが理解されない頃のことだから、そんな噂も仕方なかったのかもしれない。
出典『妖怪は変態』山口師範著 鹿鳴館出版局
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