あれは江戸時代も盛りの頃だった。その娘は農村から江戸の豪商の元に雇われてやって来た。
「だんなさま、昨夜も出たんです。わて、いえ、私、二人部屋とかに行きたいんですけど」
「この忙しいときに部屋替えもできん。もう少し待て、新しい娘が入ってくればどうせ相部屋になるんだ」
「でも、私、怖くて、怖くて」
「何がそんなに怖いんだ」
「あのう、昨夜は、部屋に火が灯るだけじゃのうて、いえ、なくて、そのう、火がゆらゆらとゆれて、私の布団の下のほうを、こう、ゆっくりと捲ったんです」
「そりゃ、おまえ、この家の先祖の魂だよ。先祖の魂がおまえの寝相を心配して布団を直したんだろう。いいかい、先祖の魂なんだ、そうしたときはじっとして、ただ、感謝して声を出さないようにするんだよ。そうすれば先祖の魂がおまえに気をかけてくれて、おまえには良いことが起こるんだよ」
その晩にも暗い離れの部屋の前で火が灯った。その火は行灯もない真っ暗の廊下に突然に灯り、襖を開けて娘の部屋に入って来た。行灯にしては小さい炎で、ゆらゆらと娘に近づき、そして、布団の下から、ぬーと入りこんで来た。
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「だんなさま、だんなさまの言う通りでした。あれは魂です。何しろ、わての、いえ、私の布団の中に入ってきたあの火は、火なのにとても冷たかったんです」
「そうだろう。それは人の魂だからな、冷たいときも暖かいときもある。人の手のように感じることもあるんだ。いいかい。そうしたときは、何をされても目を閉じ、声を出さず、とにかくじっとしているんだよ。そうそう、そこに菓子がある。皆の分はないから部屋で一人でこっそりと食べなさい。一人部屋もこうしたときには良いものだろう」
娘は、先祖の魂がさっそく自分に気をかけてくれて、良いことを自分にもたらしてくれたのだと喜んで、田舎では見たことさえないような菓子を一人で食べた。
そして、それ以後は、ただじっと魂のやることに身をまかせているようになった、とさ。
出典『妖怪は変態』山口師範著 鹿鳴館出版局
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