いたたまれない気持ちになっていた。どうしてあんなことをしてまったのだろうと、少年は昨夜のことを思い出しては暗く沈みこんでいた。
気持ちよかった。はじめて女性の口の中に精を放った。オナニーの何倍もよかった。しかし、相手の女性は好きでもない、いや、美しくもない、いや、それよりも、どこの誰とも分からない気味の悪いおばさんだったのだ。
いくら好奇心の盛んな時期とはいえ、少年も普通のときなら、そんな女に声をかけられてもついて行ったりはしなかったろう。しかし、昨夜の少年はいつもと違っていたのだ。塾をサボり、夕暮れの公園をうろうろしていた。母親に成績が下がったことでガミガミと怒鳴られたのだ。少年はその怒鳴り声に殺意すら覚え、とても塾で勉強する気分にはならなかったのだ。そうして塾をサボっているときに、その女と出会ってしまったのだ。
「どうしたんだよ」
塞ぎ込む少年にクラスの友達が声をかけてきた。昨夜の話をしたかった。しかし、まさかそれを話というわけにもいかなかった。母親のことも話をしたかったが、殺意すら覚えるというところまでの話はしたくなかった。
「幽霊を見たんだ」
「幽霊、嘘だあ」
「本当だよ。幽霊に追いかけられて、それで昨日は塾にも行けなかったんだ」
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少年はいい言い訳になったと思った。塾をサボったことが母親にバレても、幽霊話で押し切ればいいと思った。
「マスクをした女で、いつの間にか後ろにいて、それで振り返ったら口が耳まで裂けていたんだ。あれは整形手術の失敗を苦にして死んだ女の幽霊だよ」
自分のモノをくわえたまま上目使いに少年を見た女の顔は怖かった。はみ出した口紅が妙に赤く思えた。少年の中で、その口はガミガミと自分を怒鳴る母親の口のようにも思えた。
「口が裂けてるのかよ。怖いなあ」
別の友達も話に参加して来た。
進学競争が激化して子供たちは鬱屈していた。たいていの子供たちが母親の言葉に恐怖していた。口を開く母親が怖かったのだ。その恐怖は塾という学校を越えたネットワークによって、たちまち広まって行った。
自分が子供の頃には成績優秀だったのだからという母親の自己顕示欲が口裂け女に「私、綺麗」と言わせた。そして、母親の夫に対する嫌悪が口裂け女をポマード嫌いにした。
昭和が終わることなど、まだ、誰も予想しなかった、昭和中頃の話である。
出典『妖怪は変態』山口師範著 鹿鳴館出版局
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