与平は几帳面な性格だった。長屋でもその綺麗好きは有名で、与平の部屋には夏のもっとも埃っぽい時期でさえチリひとつなかった。暮らしぶりはいいとはいえないが、しかし、鍛冶職人として腕のいい与平は生活に困るというほど貧しくもなかった。また、役者にしたいほどの二枚目というわけでもないが、取り立てて容姿に欠点があるというわけでもなかった。
ゆえに、近所のものたちは、与平がいつまでも所帯を持たないのは、与平のあまりの綺麗好きに女がついて行けないからだと噂していた。
しかし、実際は違っていた。与平には所帯を持ったのでは止めなければならない趣味があったのだ。それは覗きだった。覗きと言っても風呂や厠を覗くというのではない。与平のは、ただ、他人の暮らしぶりを覗き見るという変わった趣味だった。
鍛冶職人として腕のいい与平にとって江戸の家屋敷に侵入する道具ぐらいはわけもなく誂えた。それらを使って他人の家に入り、こっそり寝室などを覗くのだ。盗みはしない。覗く以上の行為もしない。
その夜も与平は寝乱れる若後家の姿を台所から覗いて興奮していた。手を伸ばせば触ることのできるところにむっちりとした餅のような尻があった。太くてやわらかそうな二本の足、その間の黒い茂み、触らないかぎり全てが与平のものだった。 |
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与平は紙を出すと準備をした。怒張した自分のものを包むには硬過ぎる紙を与平はくしゅくしゅと手で揉みやわらくする。
その頃、江戸では小豆洗いなる妖怪の噂があった。
「ネズミやネコじゃないわよ。だって、キシュ、キシュ、キシュって、ものすごく規則正しい音がするんだから。小豆を洗っているような、そんな音よ」
小豆洗いというのは夜更けに家に入り込み、台所で小豆を洗って、その家のものには気づかれない程度をこっそり盗って食う妖怪のことだった。
「小豆を盗んだからなのか、台所の床が綺麗に雑巾がけしてあった」
「襖のシミがとれてた」
「包丁が砥がれていた」
そんな噂が広まる頃、与平はついに自らのたったひとつの趣味、たったひとつの人生の楽しみを止める決意をした。
「小豆洗いは気の弱い妖怪で、盗む小豆はほんの少し、汚れた床を磨いたりもする。でも、もし、小豆洗いとばったり夜中に出会ってしまったら、恐ろしい牙を剥いて人間を食うんじゃよ」
与平はそんな恐ろしい妖怪に他人の家の台所で夜中にばったり出会いはしないかと怖くなって、それで覗きを止めたのだ。
出典『妖怪は変態』山口師範著 鹿鳴館出版局
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