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【 事 例 】 |
(女性 二十八歳) |
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お尻に焼けるような痛みを感じて私は目覚めました。おそらく意識を失っていたのは一瞬のことだったのだと思います。でも、その一瞬の快楽は、その他のどんな快楽よりも私を魅了するものなのです。
一瞬とはいえ意識を失うぐらいですから、もう、自分のお尻という感覚はほとんどなく、そこにあるものはただの熱の塊です。ところが、そこまでになっても、なお、次の鞭が当たれば、私は、また、のたうちまわることになります。
汗で髪が顔に醜く張り付いています。膝を折ってお尻を突き出しながら、少しでもおなかについた肉を隠そうとしていたことも、とっくに忘れてし まっています。鞭を打ってもらうお尻を見られるのは仕方ない、それならせめて太股を閉じてアソコだけは隠そうと、そんなことも、スパンキングされはじめの 頃には考えていましたが、いつの間にか私の両足はだらしなく開いたままになっています。
幼い頃から私のお尻は大きく、それを大人の男たちは、子供のくせに色気があるとからかったものです。そして、大人の女たちは母親さえもが、それを嫌らしいと軽蔑するのでした。
私は、子供の頃からエッチな妄想ばかりしていたので、そのために他の女の子よりもお尻が大きくなってしまったんだと思っていました。そして、大 人たちはそれを知っているんだとも思っていました。お尻が大きいのは恥ずかしいのですが、エッチな妄想は止められませんでした。
大人になったら私は、男たちからは価値のない性の道具、たとえるなら雑巾のように扱われる女になるのだと信じていました。そして、女たちからは汚らわしい生き物、害虫のように見られるのだと思っていました。
価値がなく、利用され捨てられるためだけの女、汚らわしく、触れるのも、見るのも嫌な女。
自分がそんな女になると想像するとゾっとしたものです。
大人になっても、しばらくは、そうした無価値で汚い自分について悩んでいました。それはセックスしてさえ消えませんでした。セックスは雑巾がけ のようなものです。仕方なく使って、すぐに捨てるのです。いえ、捨てる前に少しだけ利用するものが雑巾であり、私だと思っていました。
それを忘れさせてくれたのがスパンキングでした。嫌らしいお尻を罰してくれて、激しい痛みは私の忌まわしい記憶を瞬間だけですが消してくれたのです。
お尻を打たれた後、その痛みが完全に消えるまでの数日間だけ、私は安らかに過ごすことができました。自分が自分のままでいられるのは、その数日 間だけだったのです。もっと痛ければ、きっと、この安心の時もながくなる、そう思って私は痛みを求めました。いえ、今も求め続けているのです。
それが私にとってのスパンキングなのです。 |