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【 事 例 】 |
(女性 二十五歳) |
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お酒は少しも飲めないくせに、私は酔ったふりを装いながら終電に乗り込みます。車内は適度に混んでいます。
気がつけばドアに押し付けられた私の周囲は男ばかりになっています。そして、車内に入って数分も経たない内に、ミディアムのスカートの上の臀部や腰の部分に手が添えられます。それらは最初は動かずにジッとしていて、私が抵抗しないのを確認しながら、ゆっくりと動きはじめます。複数の手が互いに合図を交わしたかのように同時に動きはじめるのです。
電車の揺れに合わせるようにして、その場で何度か上下にはずまされた手の甲は、向きを変え手の平の側で周囲を這うように移動し、その後は、スカートの内部にもぐり込んで来るのです。
私は自分が悲劇のヒロインになったような気分となり、肉体的な快感もともなって興奮して行きます。
痴漢されたい。そう思うようになったのは、ずいぶんと子供の頃からでした。最初はマンガで見たのだと思います。女性が複数の男たちによって痴漢されるシーンでした。
私には五歳上に兄がいて、さらにその上に姉がいます。少し年齢が離れたためでしょうか、家族の中で私だけが取り残されたような感覚がありました。どんな話でも、私は参加させてもらえなかったのです。私はそれを自分だけが不要な子供なのだと心配したものでした。
不要な人間。家族の中で役に立たない自分。その違和感は家族だけでなく、私をとりまくあらゆる社会で感じるようになりました。私はどこにいても自分は必要ないんじゃないかと考えてしまうのです。
恋人といえるような人もありました。セックスもしました。でも、そうした関係をもっても、まだ、私は、その人には自分なんか必要ないんじゃないかと考えてしまい、それを過剰に確かめようとするので、結果として、本当に私は邪魔な存在となってしまうのでした。
ところが、痴漢されているときの私は、その人たちによって必要とされているのです。今夜も私を必要とし、待っている男たちがいる、と、そう思うと、それだけで私は濡れてくるのです。
もちろん、痴漢は痴漢です。電車を降りた瞬間から私は不要なものとなり、また、孤独の中に戻されることになります。でも、それでもいいんです。明日の夜も、きっと私は必要とされる、そう思えるのですから。被害者としての必要。それが私にとっての性であり、生活でもあるのですから。
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