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【 事 例 】 |
(男性 三十九歳) |
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自惚れだと思われることを覚悟で言うなら、私は優秀な子供だったと思う。子供の間ではリーダーであり、大人からは期待される子供で、成績もよく、スポーツもでき、性格も明るかった。それがゆえに異性にモテないということはなかった。
だから私は思春期を過ぎる頃までは自分が普通ではないということにはまったく気づいていなかった。
それに気づいたのは子供ながらに女性と交際するようになってからだった。交際相手には不自由しなかった。同年齢の男たちと比較するなら私はけっこう多くの女性たちと交際することができたし、初体験も早いほうだったと思う。
ところが、どんな女性と交際をはじめても私はすぐに醒めた。女性が私にいろいろなことを期待してくるのが重荷になってしまうからだ。それはささいなことだった。たとえば、勉強を教えて欲しいとか、テニスを教えて欲しいという程度の、むしろ、普通の男なら喜ぶようなことが私には負担だった。
ある時、私は猫を飼う女性と交際した。彼女の家に遊びに行き、彼女が猫を可愛がるのを見て、猫を羨ましいと思うようになった。ところが、彼女が自分の飼っている猫がいかに優秀かという話をはじめると私の思いは醒めた。この猫も飼い主にいろいろと期待され、それに応えることで愛を獲得しているのだと思い、猫に同情した。
私も愛されたかった。しかし、期待されることは負担だった。無条件に愛されたかったのだ。そして、不必要になれば無条件に捨てられたかった。未練になることさえ私には負担だった。
それ以来、私は家具になりたいと考えるようになった。椅子ではない。便器とかいう下品なものも嫌だった。ハンガーでは少しばかり寂し過ぎた。
私はベッドになりたいと思った。私を使う女性が毎日のように私の上で眠り、ときどきは私の上で男に抱かれることもある。私はベッドになりたいと思った。
ベッドなら、私はただ、そこにいるだけでいい、いや違う、私は、そこに有るだけでいいのだ。それだけの存在。それでいて彼女には絶対に必要な存在。私はベッドになりたかった。そして、捨てられたかった。
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