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【 事 例 】 |
(男性 四十六歳) |
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私は幼い頃から女の子をいじめていました。そして、その行為は女の子にかまわれたいという他の同年齢の男の子たちのレベルを、はるかに超えたものでした。押さえがきかず、普通でない力で女の子を殴っては大人たちに叱られていました。
そうした暴力は父も母にふるっていましたし、私たち子供にも日常的にふるわれていたものでした。私は、男の暴力は男が女を支配するということの証なのだと勘違いしていたです。
私は男の中においては、むしろ気弱なほうでした。ケンカも強いほうではありませんでしたし、スポーツや勉強が特別にできたというわけでもありません。ですから、私が他人より優位に立つということは、ほとんどなかったのです。
ところが、男の中においてはたいした力もない、そんな私でも、女を打つと、女はひ弱に屈してくれたのです。私はその瞬間に自分が優位に立ったと感じることができました。もちろん性的に興奮しています。でも、性的な興奮だけなら他のことでも得ることができます。そこにあるのは性的興奮だけではないのです。自分を認めさせる、自分の力を相手にだけにはなく自身に認めさせる、それが快感であり興奮なのです。
ですから、私は女の顔を殴るのも好きです。性的なSMマニアたちが尻や陰部を鞭などで打って興奮するのに対し、私は顔を殴ることでより強い興奮を覚えるのです。
それは子供がしばしば虫や小さな魚を殺す行為に似ています。弱さからの解放、それが私の性のありかたなのです。 |