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【 事 例 】 |
(女性 ニ十九歳) |
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男の子を性的に意識するようになった頃には、私はもう男の子とどのように接していいのかが分からなくなっていました。同年齢の他の女の子たちは器用に男の子を受け入れ、彼らの前での笑い方や泣き方や甘え方などを心得ていたようですが、私には分かりませんでした。
私には、そうしたことが白々しくて、男の子たちにとっても見え透いているように思えたのです。でも、実際には、見え透いているどころか男の子たちは、そうした白々しい演技をする女の子たちによって、いいように踊らせていたのでした。
むしろ、愛想よく笑えなかったり、怒っても感情を出さずに沈黙して耐えるような私は男の子たちからは敬遠されるようになりました。
同年齢の女の子たちがセックスを経験するようになった頃、私はますますそうした恋愛の儀式のようなものから遠ざけられてしまったように思います。セックス経験がもてなかったわけではありません。セックスさえもが私には白々しい見え透いた絵空事に思えて、それを相手に見透かされてしまっているように思えて、その行為に熱中することができなかったのです。
そんな私を変えてくれたのが鞭でした。鞭によって打たれても、最初は白々しいままでした。でも、何十と打たれている内に私の頭は苦痛でいっぱいになって、他のことはいっさいなくなって、そして、私はただの肉体、女の肉体になれたのです。
私がセックスで快感を得られるようになったのも、それからでした。
肉体の苦痛がなければ私には肉体の快楽もないのです。それが私のマゾヒズムなのです。
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